ブログ Desert Rose 大好きな祖母 忍者ブログ
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心のなかみ・気持ち・思いがわかってきて ぽろぽろ出てきたらカタチにするのに書いてみます 
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おばぁーちゃんのうちに 行くと
カステラがタッパに入ってるのが出てきた
 このまま冷蔵庫に入ってた

独り暮らしで 歳は歳なりだけど ぼける気配がない
何かと工夫していて 笑わせてくれる。

行く度に ちょこちょこ 変わった食べ物を持って行っていたら
とうとう 「 何も持ってこなくていい 食べ物に脅迫される 」
と 言われた。

 あなたも ハッキリ言いますねー ^ ^  
 
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お盆は 仕事ばかりで身動きが 取れなくなってしまった
けどお盆だ 仕事の合間に おばぁちゃんに 電話 を かけみた

 ひと 「 おばぁちゃん ひとみです 」
 祖母 「 あら どうしよるんね 」
 ひと 「 おばぁちゃんは どうしよる? 」
 祖母 「 元気よ 普通に よぼよぼ しよりマス 」
 ひと 「 あははっ~( ^ ^ ) よぼよぼ しよるん? 」
 祖母 「 うん そう 」

ちょっと 面白かった 92歳って 凄いなと思った。
実は 最近 なんだか 忙しく感じていて 気持ちに余裕が 無かった
早く帰って休みたい とにかくそう思っていた。
年寄りとの やり取りは ゆっくり はっきりとした声での
やり取りを 心がけている
おばぁちゃんとの ゆっくりとした やり取りと 
思いもしなかった言葉の返しに 嬉しく 楽しくなった。

今日 一緒に ご飯食べようね おばぁちゃん 
帰ってくるの 待っといて ( ^ ^ )

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おばぁちゃんのトコに行って お茶をして話してると 
昔 教師だった おばぁちゃん こんなものを持っていた。 
縦折りなっている書き物で とっても味のある 記念品だ

" 小学校教員免許状 " ↓この写真ちょっとおっきくなる。
 科目 " 家 事 "
 11科目 書いてある

家事の免許 ( ^ ^ ) あたしはまだ持ってない

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お祖母ちゃんの誕生日だった。
毎年 何処かに ご飯でもと 誘おうとするけど 断念する

私も頑固だけど ばーちゃんは もっと頑固
必ず 「 勘弁して 年寄りはゆっくりできるほうがいいの 」と 断られる
とっても 頑なで 私ひとりでは 太刀打ち出来ない
結局、祖母の家で 一緒に話をしながら ご飯を食べる。

祖母から 宝物を貰った。
けして高価なものではない けど 思い出の品 である。
「 いい ばーちゃんが 持っておいて 」と 言っても
やっぱり 頑固 言うことを 聞いてはくれない。

祖母の 最後の親兄弟だった 妹さんが 昨年 亡くなった。
しばらくそのことも 誰にも話さなかった様だ。
" 皆が 自分が悲しんで落ち込むのではないかと 心配をするから "
何て 頑固な 年寄りなんだ 私は まだ 弱いところを 見たことがない

その妹さんから 昔 貰った物らしい
 selangor pewter ( 錫 ) ・ 蝶工芸
妹さんは 古物商の旦那さんと 結婚して アメリカ軍人さん相手に 商売していたことで 戦後のモノがない時代にも こんなものが 手に入ったとのこと。 英語で 商売していたらしい
古い婦人画報を見せてくれた 今では 100周年を 越えている雑誌だ
何頁かの特集で その 古物商の店 の記事が 載っていた。 
記事の中に " 昔 NHKのアナウンサーを していた 奥さんは とても 綺麗な 気持ちのよい 日本語を話す。"  と あった。

この思い出を 大事にしてあげたいと 思った

 尊敬する 大好きな お祖母ちゃん
 
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うちの 祖母は あまり戦争の事は 話さないけど、
この日の頃には ポツリと 昔話を します。

幸い 田舎に疎開をしていて 広島の市内には いませんでした。
戦時中の話や 原爆が落ちた日の話
いつも明るい祖母が 思い出すと 自然に涙が滲むらしい

 いろんな思いが ある日

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オテンバおばぁちゃんが 教えてくれる おじいちゃんの話
 おばぁちゃん の オテンバ → ■白銀は招く 70年前のお話

祖父は 私がモノを考えて 話すようになった頃には
病気で 言葉を 失っていたから 話しをした 記憶がない。
けど おばぁちゃんが 教えてくれる

2人は職場恋愛 2人とも小学校の教師だった。
その頃は 教師のことを " 訓導 " と言ったらしい

  ひと  「ばぁちゃん 学校で 何教えよったん? 」
  おばぁ 「小学校じゃけん 全部よね うちゃーようやりよった思うて
       恥ずかしゅうて 人に言えん 」 「あー恥ずかしーっ」

2人は 出会って結婚 おばぁちゃんの3年7ヶ月の 教師生活は終わる
これが おじいちゃん 
そして 坊主になった おじいちゃん 
おばぁちゃんは なんかみた事の ある様な 雰囲気の人が
坊主でたっとる と思ってたら おじいちゃんだった らしい。

戦争が始まり 男の人が 徴兵されていき おじいちゃんも 覚悟をして
自分で 頭を丸めたそうだ。
教師は 戦争に兵として かりだされる事は なかった。
生徒をつれて田舎に 疎開をし 原爆が落ちて 大変なことになったと
生徒の親を探しに 市内へ入り二次被爆 色んな思いをした様だ。

焼け野原になった 広島で よく写真が 残っていた。
大事にしていたんだね おばぁちゃん

 大事イコ 大切にイコ

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■白銀は招く 70年前のお話 の追記
私も歳をとって 昔話を↑こんな風に出来るような 年寄りに
なりたいなって思いました。
戦争を体験した人です。 色んな事が あったのだと思います。
とっても明るいサッパリとした性格で いつもケロットしていて 
自分のことを
「来年には オッ死んどるかもしれんけえねぇ」 なんて笑うんです。

 まだまだ 元気でいてね 大好きだから
 いっぱい 話を してね
節分だったので 1人暮らしの祖母のトコに 1人暮らしの孫が
「一緒にご飯を食べようっ」って 恵方巻を持ってお邪魔してきました。

最近 また寒くて雪が降った話になると 昔のスキーの話になった。
スキーが 大好きだった おばぁちゃんは 91歳 もう 70年以上前の話

父親にいい顔をされなかったので、黙って母屋に 近寄らないように
朝早くから こっそりと 抜け出しては スキーに 行っていたらしい
あの頃の 父親に 逆らうとは いい度胸をしている

こっそりなのに 当時の中国新聞に 写真と 記事が 載ってしまった
この写真 ↓ タイトルは  " 白銀は招く "   昭和9年1月 吾妻山
←写真大きくなります
当時 女性スキーヤーはいなく 珍しかったらしい。
服も 道具も 男物を加工して 作り直してそろえていたようだ。
スキー場には リフトなどは無く とにかく道具を担いで歩いて山を登り、滑って降りてくる。もちろん圧雪コースではなく 自然雪の林道
ポケットに ソーセージや チョコレートを入れて 山頂で食べるのが美味しかった(^^)と楽しそうに話す。
←なかなか味がある写真になってる
ストックなんか 竹で出来てる。靴も金具で止めて縛ってある

おばぁちゃんのオテンバは 凄いな
間違いなく 私は あなたの孫です。

頑晴ってイコ 楽しんでイコ

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